園長より

社会福祉法人 双葉町子供の家保育園
認定こども園すくすくふたば
理事長・園長 勝田 徹

理事長・園長の勝田です。よろしくお願いします。
私の両親がこの地域の方々と力を合わせて、通称「双葉町」に保育園を開園してから半世紀以上という年月が経ちました。ひと言で50年と言っても、その間、園舎の移設、増築、改築、外壁改修、耐震化工事、駐車場新設という様々な過程を経て現在に至っています。園児の増加に伴う経営でも着実にこの地域の保育園として運営してくることができました。ありがとうございました。
 
古い話(今から60年ほど前)ですが、私の幼少期のことです。北安江というところに住んでいました。両親は共稼ぎでした。父は金沢市役所、母は保母(当時は保育士は保母と言われていました。旧野々市町富奥という田舎の保育所勤め)。兄弟は4人です。私たち兄弟は、近くに住んでいた叔父の家によく行ったことを覚えています。多分、日中あずかってもらっていたのだと思います。私は保育園に行った記憶はありません。果たして行っていたのでしょうか。すでに他界した両親に聞くすべはありません。
この両親が何故、どのようにして、現在のこども園の前身である双葉町子供の家保育園を創設したかを語れば長い話で、紙面が足りません。よく聞かされていたのは、私の5歳下の末弟が、ある朝、「今日、(僕は)何処へ行くの?」と訊いたその一言は大きなきっかけだったようです。毎日、誰かにお願いしてみてもらっていたので、そのような言葉が出たのだと思います。毎日、懸命に働いても、他人のお子さんの保育はできても我が子は・・・。
やがて、私達一家は、家を駅西新町1丁目(双葉町)に建て引っ越してきました。町に家はわずかに2軒。保育園も遠く、学校へも遠かったのです。弟の面倒は誰がみるのか、両親は困ったことと思います。やがて、どんどん家が建ち新興住宅地と発展してきました。そして、鍵っ子対策として、「この地にこども達が集う家を創ろう」という気運が高まり、廃校になった小学校の校舎を貰い受け、町の人たちの勤労奉仕で「子供の家」を建てたのです。私も古い材木を運んだ記憶があります。私は、そこで剣道を習ったことを覚えています。他にそろばん教室などもありました。保育の必要性も高まり、子供の家に保育所を作ろうという町民の声もあり、和室を利用して小さな保育所が誕生したのです。その時は、まだ認可がおりていなかったので無認可保育所でしたが、市や県に何度も足を運び、ようやく昭和44年に認可保育所として認められる施設になりました。
私の父は公職を退いてから理事長となり、母が園長として夫婦で園の運営にあたりました。今から思えば、大変だったことだったと思います。園は順調に発展し、定員も増え、多くのこども達が通う保育園となりました。
 
話は変わりますが、現在、本園が位置する金沢駅西地区、保育園のブロック区割りで言うと「駅西臨海B地区」は、この間ずっと入園困難な地区のひとつにあげられています。実際、金沢市には待機児童問題があります。3歳以上児の保育料無償化が令和元年10月から始まり、今後更に保育の需要は高まるものと思われます。これからの保育事情に対応するため、昨年度より「認定こども園すくすくふたば」として新たな歩みを始めることとなりました。従来の2.3号認定こどもに加えて、1号認定こどもの入園も可能になりました。しばらくは、待機児童の課題はこの地区の課題としてあり続けることと思われますが、本園は保育の内容や質を下げることなく、新たな園は今までの「双葉町子供の家保育園」同様、役職員一同、保護者の皆さんのご協力を得て、「すくすくふたばで良かった」と言っていただけるような保育を展開するよう頑張りたいと思います。
 
私は、こども園に勤務する以前は、37年間、多くの学校で教職として勤務してきました。後半は、教頭、副校長、校長を14年間勤め学校経営に努めてきました。多くの児童を毎朝玄関で迎え、挨拶をし、教室の授業を観てまわることが大切な仕事でした。今、中学校の校長先生から言われることは、小学校での指導のことです。また、小学校の校長先生から言われることは、こども園や幼稚園での保育のことです。子ども同士の問題、学力の問題、生活習慣の問題など元をたどれば保育園幼稚園からを見直すことにつながります。すべてつながっているということです。それぞれが別々なのではなく、子どもは長い期間ずっと連続して大人になっていくということです。ですから、特に、この幼少期の大切な時期をいかに過ごすかということは本当に大切なことです。
 
私は本園に勤務して7年目になります。保育士の仕事の大切さ、働きながら育児をする保護者の皆さんの大変さも分かっています。大切なお子さんをおあずかりし、元気で生き生きした子ども達の成長を目指すために、園には保育の理念があります。その理念を実現するためには、保護者の皆さんには、いろいろとお願いすることもあります。家での過ごし方も考えていただくこともあります。すべては、園児の健全な成長・発達のためと思っていただき、これからもご協力をお願いします。
 
また、いろいろとご相談がありましたら、担任や主任、副園長や私にもご相談いただければと思います。
本園には、経験豊富な職員、元気いっぱいの職員達ばかりです。園児に寄り添い、実り多い、成長がみられる1年になりますようにがんばります。職員共々よろしくお願い致します。

 

園長の職歴

昭和51年3月:

金沢大学教育学部卒業

昭和51年4月~

金沢市立材木町小学校教諭を皮切りに
金沢市立夕日寺小学校
金沢市立長土塀小学校
金沢市立中央小学校
金沢市立米泉小学校
金沢市立小坂小学校の教諭として歴任
この間、主に小学校高学年の担任として、又、音楽科の専任教員として、児童を指導する
 
小学校における部活動(吹奏楽部、マーチングバンド部を創設し、各種コンクールで最優秀賞や金賞、石川県代表で北陸大会等に出場)
 
金沢市立押野小学校 教頭
金沢大学教育学部附属小学校 副校長を歴任
 
金沢市立額小学校 校長
金沢市立木曳野小学校 校長
金沢市立南小立野小学校 校長を最後に教職を離れる

平成25年4月:

金沢市の文化施設「金沢老舗記念館」館長となり、2年在職

平成27年4月:

本園の前身である双葉町子供の家保育園 園長に就任

令和2年4月:

認定こども園すくすくふたばと改称し、こども園となる

現在のその他の役職

日本マーチングバンド協会北陸支部 会長
日本バトン協会石川県支部 会長
日本バトン協会北陸支部 会長
石川県立金沢二水高等学校同窓会 代表幹事